忘れられない店 平井 1


酒を飲みに出歩くことがめっきり減ってきている。
飲み歩くお金もないし、これといった面白い店がないことも理由の一つである。
街には、チェーンの居酒屋が増え、味のある個人店が姿を消している。
どこの店に行っても同じ料理、味、接客等・・・それが好きな人もいるかもしれないが、私は、チェーン店が嫌いである。
チェーン店では、店員が機械的に注文を取り、同じような濃さのチューハイが客に提供される。 
個人店ならば、客の様子を見て濃くしたり、薄くしたりしてくれる。
料理だって、おやじのさじ加減一つで薄くしてくれたり、濃くしてくれたりもしてくれるし、旬の旨い物を提供してくれる。

私がお気に入りは、90歳近くのじいさんが経営する居酒屋である。
この店に通うのは、月1くらいで、20歳過ぎのころからだから、かれこれ20年以上通っていることになる。
以前は、おやじとばあさんで切り盛りしていたが、いつの間にかおやじさんだけの営業となっていた。

おやじは、90歳前後であるが、頭も体もクリアで、ぴんぴんしており、「100歳までやるよ。」が口癖であった。
年々、年には勝てないようで、病気で長期休業なこともあった。
そのたびに、「ついに閉店か・・・」と考えたが、突然の復活を遂げ、不死鳥のごとくよみがえってきたのだ。

この店は、小汚くて、手作り感が満載であり、メニューから何から何までがおやじの手作りである。 カウンターが10席程、2人掛けテーブル一つ、そして、20畳程のお座敷。
値段は、一品100円からで、チューハイは、230円で氷無しでグラスの淵まで注がれている。 それでもって、焼酎は、グラスの3分の2程で残りが割りもの。
料理は、旬の野菜と刺身等で、メニューが壁いっぱいに貼られており、その数100種類はあると思う。
よく注文していたのは、コンビーフ、ソラマメ、旬の刺身、旬の野菜の天ぷらである。
料理というよりも食材を切っただけじゃないかという人がいるが、その通りである。
私がそれを頼む理由は、おやじさんが仕込みをしないからである。
おやじは、注文を受けてから仕込みに取りかかる。
例えば、焼き鳥は、3本焼いて提供されるのに30分以上かかる。
肉を切って、串にさして、焼き代に火を入れて、焼いて・・・そして、その間に他の料理を作るのである。
おすすめは、茹でるだけのそらまめ、枝豆等の野菜類や切るだけの刺身であり、ブリキの缶を開けて切るだけのコンビーフである。早い!安い!旨い!のだからこれでいいのだ。
もし、焼きめしを頼めば1時間以上かかるのだから・・・
 
酒は、普通の人ならば1杯で十分にベロベロになれるチューハイがおすすめだ。
こんなに濃い酎ハイを提供する店は、知らないし、聞いたことがない。
私は、3杯程飲むことが多かったが、飲み干せば次の日グロッキーであることは間違いない程濃い。 ちなみに私は、アルコールが滅法強いほうである。
一度、「氷を入れてほしい」と注文したことがあるが、おやじは、「氷を入れると薄くなるよ・・・」と悲しそうだったので、それ以来、氷入りのチューハイを注文したことがない。 生ビールもあるが、機械の準備をして・・・から始まるので滅多に注文しない。
ハイボールブームの時には、ハイボールを始めたが、値段が500円と高かった。
ワインは、「フランスワイン」である。 しかし、中身はメルシャンであり、山梨県産だ。

私は、この店に行くときは、大抵、健ちゃんと一緒のことが多かった。
健ちゃんは、幼馴染の同級生で近所に住んでおり、大人になった今でもたまに飲みに行くことが多い。
仕事は、工場で何かを作っているようであるが、何だか難しそうな機械を作っていたと思うが覚えていない。
健ちゃんとこの店に来るときは、いつも2軒目であり、ほとんど出来上がっている。
いつも二人は、軽いステップで、おやじの店に入り、いつもの階段下にある小さなテーブル席が我々の特等席であり、この席に座る客を見たことがない。
何故なら一人客ばかりで、団体客が来ないのだ。
来るのは、年金暮らしのじいさん、ばあさんや酔っぱらった会社帰りのサラリーマン。たまに間違って入ってしまい困っている若者。
ほとんどが、おやじと一人客が数名カウンターに座り酒を飲んでいる。
テーブルには、必ずマッチが置かれていた。
普段は使わないのにこのマッチを使ってわざわざ煙草に火をつけて吸う。
火薬の匂いが口いっぱいに広がり、この店に来たことを感じるのだ。

おやじは、カウンターの客と政治の話をしている。それを肴に我々は酒を飲む。
政治になんて興味はないけれど、「昔はよかった。」「昔の日本人は・・」おやじの談義は続く。それを肴にもう一杯。帰る頃にはベロベロだ。
健ちゃんは、いつもレーズンバターを注文する。ちなみに私は、脂っこくて食べる気にならない。 ここのレーズンバターを健ちゃんはいつもうまそうに一人で食べる。
その前でコンビ―フをあてに私は、チューハイを煽るのだ。

締めは、お茶漬けと決めている。
これまた、おやじの手作りで、他の店のように永谷園のお茶漬けを提供することはない。
しっかりと鰹節で出汁を取って、三つ葉や焼き鮭を焼いて作られるお茶漬けは、入店した時に注文してある。 何故ならば提供されるのに1時間は、かかるからだ。
しかし、このお茶漬けは、絶品で死んだばあちゃんのお茶漬けにそっくりだ。
そして、会計。 二人で2,000円程。 じいさんは、「また、来てね。」と我々を見送ってくれる。
それで二人は、次の店へと進んでいくのだ。

この店が旨いだとか凄いだとかを語る気はありません。
おやじと店構えを含め、居心地がよかった・・・ただそれだけだった。
そんな店が急に閉店した。 つい先日までおやじは営業していたのに、突然、空き家になってしまったのだ。
私は、びっくりした。 おやじさんは、死んでしまったのか。 さすがに90歳じゃな。
私は、行きつけのバーのママに聞き込みをした。
「おやじさんの店が無くなってしまったよ。何かあったのかな?」
「家賃が払えなくて、潰れたみたいよ。」

コメント